目抜き通りを歩きたい。

映像を作る大学生の雑記。 映画のこととか、映像のこととか、どうでもいいこととか。

「エンジェル 見えない恋人」

「エンジェル 見えない恋人」を見ました。

 

 

ベルギーの映画で、監督はハリー・クレフェン。透明人間の青年と盲目の少女の純愛を描いた映画です。

 

 

 


映画『エンジェル、見えない恋人』予告編

 

 

生まれつき透明人間で姿の見えないエンジェルは、病気の母親と2人でひっそりと暮らしていました。母親から沢山の愛情を受けて育つも、やはり外の世界は気になるもの。

母親からは「他の人には話しかけてはいけない。姿の見えないあなたの事を怖がるから。」と言われますが、隣の家に暮らす赤毛の少女が気になってしまい、こっそりと近づきます。

 

透明人間だから気づかれない!と思いきや、なんとその少女マドレーヌは盲目で、嗅覚・聴覚の鋭さからエンジェルの事が「見える」のでした。

 

共に時を過ごす中で恋に落ちていく2人。

そんなある時、マドレーヌは「目の手術を受けることにした。エンジェルの姿が見てみたいから」と。ざっくりこんな感じです。

 

2人の美しく真っ直ぐに互いを見つめ合う純愛が、美しい自然の中で時を超えて描かれる、とても素敵な映画でした。

登場するモチーフ、シチュエーションは限られていて、何度も同じ場所同じシチュエーションが繰り返されるのですが、そのときの2人の関係性の変化から違って見えてきます。でもいずれの瞬間も美しく愛おしいもので、2人の半生を見守るような穏やかな気持ちになりました。

2人とも幸せに暮らし続けてくれ~~!!

 

 

 

 

【以下ややネタバレ注意】

 

 

 

 

 

エンジェルは自分が「見えない」ことで自身の存在、アイデンティティがあやふやになってしまいます。他人から見えない自分は本当は存在していないのではないか、と。

それを補っていたのが彼を「見る」ことができた母親とマドレーヌの存在でした。で、母親が亡くなりマドレーヌは目が見えるようになり、彼のことが「見える」人がいなくなったとき、本当に透明人間になってしまうわけで。

 

でも、「見ることが出来ない」マドレーヌの存在を支えていたのも、序盤からPOVで描かれ続けていた彼女を見つめるエンジェルの視線だった。悪く言えば閉鎖的かつ共依存的なのかもしれませんが、「彼らにしか見えない愛があった」とあるように、それはお互いを愛しく見つめ合う純粋な愛で。

一種変態的になってしまいそうな関係をここまで美しく清廉に描ききったのはすごいと思います。

 

POVという言葉が出ましたが、透明人間を映像で描くうえで姿が見えないというのはやはりネックになるのですが、前半のエンジェル視点によるPOVで彼の息遣い、存在、視線を見事に表現していました。あとは水に落としてみたり、雨のなか体の線が浮かび上がったり。

で、マドレーヌが目の手術を受け目が見えるようになって、エンジェルが「見えなく」なったとき、画面にずっと漂っていたエンジェルの存在感がとたんに消える。

エンジェルの視点は変わらないものの、マドレーヌのはこちらを見ておらず、彼女の視線によって支えられていた彼の存在は一気に薄くなってしまう。2人の視点が切り替わったときの存在感の落差に胸が締め付けられる思いでした。

 

けれども、マドレーヌを支えていたのもエンジェルの視線だった。2人はそれを取り戻すために試行錯誤します。マドレーヌなんてまた目が見えなくてもいいといった勢い。

こういったところのまっすぐさが先に述べた清廉な雰囲気につながったのでしょう。

 

ラストでもう、このまま家族で幸せに過ごしてくれ~~~!!!!と祈るばかりでした。こうやって愛は繰り返され、家族は続いていくのだな、と。